諸橋茂一の言語道断

平成17年8月

その1.

【何故出来ない?「扶桑社」教科書採択】

 

KBニュース18年6月号言語道断

 

去る6月2日付の産経新聞「正論」に、渡部昇一先生の「いわれなき日中戦争の原罪意識」という副題の論文が掲載されていた。これまでにKBニュース・言語道断で取り上げた内容と同様のこともあるが、以下にその要旨を記す。(文責・諸橋) 

 

「故ライシャワー駐日大使が『シナ事変(日中戦争)は、昭和12年(1937年)の廬溝橋事件で始まったのではなく、同年8月13日に上海で始まったのだ』と言っておられたらしい。…トレヴェニアン著「シブミ」の中で、「シナの攻撃が始まったのは12日であり、翌日には爆撃機が日本の領事館や軍艦・船舶などに爆弾を投下したほか、フランス租界地の市街も爆撃した。シナ民衆の娯楽センターであった「大世界」にも命中して、4人以上が死んだほか、イギリス人経営のパレスホテルやカセイホテルにも命中し、外国人を含めて、200人以上が死亡したのである。(ライシャワー大使のお兄さん、ロバート・ライシャワー氏もカセイホテルでこの時亡くなられた。)この事件の話が今評判の(毛沢東の出鱈目な生涯を記録した大作)「マオ」の上巻343頁辺りにも詳しく記されている。(小生は、今同書下巻の終わりの方を読んでいます。)(その概要は)『この事件(第二次上海事件)は、コミンテルンの手先であった張治中という将軍が、蒋介石の命令に反して起こしたものである。…このため、上海地方で全面的な戦いが始まり、シナ軍は、73個師団−しかも精鋭部隊−40万人以上を投入したのである。』廬溝橋といい上海といい、そこで戦闘を起こしたのは、コミンテルンの指示を受けた中国共産党の将軍たちとそれらの部下であることは今や隠れもない。東京裁判の中で、東條英機元首相が、宣誓供述書の中で、『シナ事変以来、日本は常に受け身であった。』という趣旨のことを述べている。そして、裁判中に行われた検事との応答では、いつも元首相が勝っているという印象があり、この時ばかりは東條英機嫌いの人達の間でも彼の評価が上がったという。…東京裁判において日本を断罪するよう指令し、その裁判の法源であったというべきマッカーサーが、同裁判終結の約2年後には、アメリカ上院の外交・軍事合同委員会という公式の場で、東條元首相の主張に沿った様な発言をし、しかもその発言を『…従って、日本が戦争に突入したのは、主として自衛の為にやらざるを得なかった。』と言ってしめくくったことは、日本人の全てが知るべきだと思う。…清朝(満州族・女真族の王朝)の正統の皇帝をその発祥地に再興することを助けた日本の行為を侵略と呼びたかったのは、コミンテルンとその影響下にあったシナ人と朝鮮人と日本のインテリであり、その見解は今日なお有力である。リットン(調査団の」報告書にさえ『簡単に侵略などとは言えない』と書いてあるのに。…近頃になつて昭和史を書く人達の中には、日本の中国に対する源罪説みたいなものの影響を受けていると思われる例が少なくない。…話が満州事変や日中戦争のことになると、日本人は一方的に悪者になってしまうのである。日本の民間人が迫害され続け、殺され続けたあげくに戦争になったことが忘れられている。東條元首相が断言したように、日本はたいていの場合、受動的だったのである。それが嘘だと思う人は、東京裁判の記録を読むとよい。否、マッカーサー証言の一行だけでも十分なのだ。」

 

(全く同感です。当時の事に関して記述してある書物などを読めば、誰でもそれは理解出来ることです。私の近所におられた橋本助男さん(明治43年生まれ)は、生前中、「シナ事変が始まったのは、(日本人民間人虐殺事件)「通州事件」並びに(上海で起きた)「大山大尉惨殺事件」等であった、と明言しておられました。その様な、当時の歴史の真実を戦後の教育では全く教えていないのです。歴史(特に近代史)の真実をしっかりと教えなくてはいけません。そして、多くの御先祖の方々に対する敬意の念と日本人としての自信と誇りを持てる様な日本にしなくてはいけません。諸橋)

 

【宮内庁の羽毛田長官は国賊である。】

「『(紀子様の御懐妊により、一時中断した形にはなっている)皇室典範改悪』に宮内庁の羽毛田長官も相当関与している」という内容を以前に記載したことがあるが、過日、「宮内庁内閣府事務官」より匿名で下記の様な内容の文書が(間接的に)送られてきた。その要旨を以下に記す。(文責・諸橋)

 

「昨年末、ある者が内部の会合で、『皇室典範改悪』に対して暗に批判した処、羽毛田長官が別室で激しく叱責するという事態が起きました。また、長官の直属の幹部は、『陛下に迷惑をかけることになるぞ』と半ば脅迫めいた言動でこれ(皇室典範改悪を批判したこと)を撤回せよと迫りました。(宮内庁内部でも、皇室典範改悪に対して)疑問を持っているのは少数ではありません。(しかし)官邸=羽毛田長官という密接な連携の中でまつとうな意見が言論封殺されている状況です。しかも、『これは陛下のご意志である』という正に偽装された『事実』が、今日の流れを作り出しています。侍従食の関係者に聞いても、決して両陛下は、政府が提出しようとしている改正に賛成されている訳ではありません。…宮内庁の慎重派の意見は、羽毛田長官から陛下には一切報告されておらず、官邸サイドの意見だけが上奏されているのが実状です。現に、陛下は側近に対して『政治家は余り歴史を知りませんからね』とか、有識者会議のメンバー(構成)についても『政治家が選んだのでしょう?』と尋ねておられます。…寛仁殿下の各種マスコミでの御発言についても、陛下は決して怒っておられません。むしろ、女系容認が既成事実化していることを憂慮しておられ、政治家の横暴を糾す援軍と考えておられるようです。…(処が)羽毛田長官らは、寛仁殿下の御発言について、『あんなのは無視すればいいんです』と極めて不敬な発言を繰り返しています。…武部幹事長は、宮内庁OBに対し、法案提出に関して、『細田(前官房長官)が言っていたが、陛下は容態がよくないらしい。とにかくいそがなくちゃならんよ。内容なんかどうでもいいんだ』とまで言っています。こうした不敬極まりない虚偽の事実を根拠にした発言が平然となされていることは恐ろしいことです。どうか、拙速な結論を出して、禍根を残さないよう、良識ある国民の皆様、政治家の方々の御尽力をお願い致します。」

 

 と、以上の様な内容となっています。もしも、これが事実ならば、羽毛田長官並びに今の政府は正に国賊ものです。我が国の存続発展の為に絶対許す事の出来ないことです。(これまでも何度も取り上げているとおり)上記の事を全く別にしても、「皇室典範改悪」はいかなることがあろうとも、決して許してはいけません。

 

 

【日本は国際法をしっかりと守ったから、大東亜戦争に負けた】(鈴木一夫氏著「船籍慰霊巡拝紀行」・はしがきより)(文責・諸橋)

 

 昨年、「皇居勤労奉仕」を御一緒させて頂いた、鈴木一夫氏より標記著書を、過日お送り戴いた。その内容が、小杉健氏発行の「修理固成通信 第258号(18年6月5日号)」に掲載されていた。その要旨を以下に掲載する。

 

 (私は、戦跡慰霊の旅を続けている。)「…あの大東亜戦争で何故負けたかということが検証されていない。(全く同感です・諸橋)政治家はいろんな角度で歴史を大いに勉強しなければならない。日本人には、武士道精神・大和魂という世界の心ある人々から尊敬されている精神がある。…名誉を重んじ正々堂々と戦う。真正面から攻めるが、被害も大きい。物量が有る内は連戦連勝したが、補給が続かなかった。その上、暗号を解読されていたのが致命傷だった。それに引き換え、アメリカは後方攪乱を狙った。日本の輸送船は、米潜水艦に次々と沈められた。(完全な国際法違反である・諸橋)又、都市は皆焼かれ、東京大空襲では一夜にして10万人が焼死広島・長崎では30万人が原爆で犠牲となる。(これらの事も許されざる大きな国際法違反である・諸橋)…アメリカも物資を輸送船で本土から太平洋を越えて運んでいた。日本軍は戦艦や空母を正面から堂々と攻撃したが、損害も大きかった。ガダルカナルを攻撃した日本軍の巡洋艦がホラニア空港を攻撃した時、港にいた12隻の物資満載の敵輸送船には一発も撃っていない。弱い者には攻めなかった。これは武士道精神がさせなかった。日本も勝つ為に、多数あった潜水艦でアメリカの輸送船を多数沈めていたら、米軍もガソリンも弾薬も食糧も欠乏して、思う様に戦えなかったのではないかと思う。そうしたら、もしかして日本本土の空爆も原爆も避けられたのではと思うと、…武士道精神が作戦の方向を誤ったのかと思えて残念でならない。(…大東亜戦争で、一番国際法を遵守したのは日本であって、守らなかった連合国が東京裁判で日本に侵略国の汚名を与え、責任追及を逃れた・小杉健)(全く同感です・諸橋)武士道は、敗者を斬る事をしないが、白人は容赦しない。だが、あの大東亜戦争も無駄ではなかった。戦後、アジア・アフリカ・中近東も皆、独立する事が出来た。欧米の植民地として300年以上も搾取の苦しみに悩んでいたアジアの民族が全て独立を達成した。日本はあの戦争でアジアから白人を追放したからである。日本無しにはアジアの独立と自由はありえなかった。日本は、米国に東京裁判の再審と原爆謝罪をさせなければ目が覚めない。元来、日本民族は優秀な民族である。種子島に鉄砲が伝来したら、2年後には日本で大量生産を始めた。浦賀に黒船が来たら、2年後には黒船を建造した。1,000年前、紫式部は源氏物語を著し、清少納言は片仮名を世に広めた。神道と仏教は円満に調和している。日本人は素晴らしき伝統文化と誇りを持って世界平和に貢献すべき民族である。」(以上)

 

 全く同感である。(以前にも記したが)「(10対1という圧倒的な戦力差があつたにも拘わらず)何故日露戦争には勝てたのか?」、それに比して、「(1対1.5の戦力差しかなかった)大東亜戦争には何故負けたのか?」という検証をしっかりとすべきである。日露戦争勝利より100年余、大東亜戦争より60年余を経たにも拘わらず、その様に重大な検証が行われていないという事も非常に大きな問題である。

 まず、上記の事を含めて、世界のどの国の軍隊よりも我が国の軍隊は国際法を遵守した軍隊であるということを大いなる誇りとすべきである。いつまでもGHQと日教組の自虐教育・自虐洗脳に浸っていてはいけない。もうこの辺りで洗脳から目覚めなくてはいけない。(諸橋)

 

【大東亜戦争の真相】

 今澤栄三郎氏より頂戴した資料の中に、標記ジョージ・ランボーン・ウエスト著「大東亜戦争の真相」があり、同内容の一部が、平澤次郎氏より毎月お送り戴いている「月刊 言論」4月20日号にも掲載されていた。その一部を以下に掲載する。(文責・諸橋)

 

 (日本軍に先に手を出させる為に・諸橋)「ルーズベルト大統領は、アメリカ海軍に命じて、大東亜戦争勃発直前の昭和16年12月4日、僅か全長25メートルしかない二本マストの木造船『ラニカイ号』を軍艦の様に見せかけて、同船の艦長に海軍大尉ケンブ・トーリー氏を任命、『日本艦隊に接近し、その情報収集の為の偵察行動を行え』という(特攻)命令を与えた。…昭和16年12月7日の夜半、マニラを出航したラニカイ号は、コレヒドール沖に投錨し、夜明けを待って機雷施設海域を横切り、マレー半島沖で、日本機動部隊に接近すべく、蒸気機関をフルに作動させ、…死出の旅を急ごうとしていた。…その時、無線係が、『真珠湾が攻撃されている』という無電を受信し、これを艦長に報告した。その途端、『帰港せよ』という命令が届いた。(ラニカイ号を日本軍に攻撃させて、「日本が先に手を出したから許せない」という口実を作ろうとしていたが、「真珠湾攻撃」でもはやその必要が無くなった為、ラニカイ号には急遽帰港命令が出たのである。)…驚くべし、ラニカイ号と同じ運命を辿るべく用意された船が何とあと2隻用意されていたのである。…その内の一隻は、「イサベル号」と言う。…その「イサベル号」は「ラニカイ号」より4日前の12月3日、インドシナ沖で日本海軍に発見されたが、日本海軍は攻撃しなかったので、目的を達することが出来ず、マニラに帰港した。…ルーズベルトは『日本軍の攻撃は、12月1日である』と想定して、既に、その前月の11月27日(米国が我が国に実質上の宣戦布告書・「ハル・ノート」を突き付けた翌日)、『日本攻撃命令』を発していた。処が、日本軍がなかなか(米軍に)攻撃しなかった為、慌てたルーズベルトは、小型船3隻を用意させて、日本海軍の囮(おとり)にしようとしたのである。…しかも、既に『日本攻撃命令』を受けていたアメリカ海軍(駆逐艦・ウォード号)は、日本の真珠湾攻撃一時間半前に、公海に於いて日本潜水艦を攻撃してこれを撃沈し、海軍司令部に『日本潜水艦を撃沈せり』との暗号電報を発していた。皮肉にもアメリカ海軍自身が、ルーズベルト大統領の苦心にも拘わらず、日本に対する先制攻撃を行ってしまったのである。この大東亜戦争こそは、日本の好むと好まざるとに拘わらず、執拗なるアメリカの政府及び軍部首脳部の手によって徴発せられ、それが勃発せざるを得ない運命に日本は置かれていたのであり、それは、日本にとつては所詮、避けられない戦争であったのである。しかも、その日本とは如何なる国であり、如何なる民族であったか?それは、欧米列強が過去数百年、世界を侵略し尽くして、その最後に残ったところの、地球上で唯一つの民族、唯一つの国家ではなかったか?…明治以後、百年間の日本の歴史は、常に国際間の陰謀と謀略の下に、欧米列強の侵略の脅威に曝され続けた百年であったと言って過言ではない。もしも、戦前の日本倭軍国主義と言い、侵略主義と言うのであるならば、先ず、前期の欧米諸国こそが、数百年に亘って、アフリカ全土とアジアの大半を侵略して、残虐行為を恣(ほしい)儘(まま)にした鬼畜に等しい破廉恥も甚だしき侵略主義国であり、露骨極まる超弩級の軍国主義諸国家であった事実を先に述べるべきであろう。戦後の日本人の大半は、アメリカの占領政策と左翼の策謀に毒せられて、『支那事変や満州事変は日本の侵略戦争だ』と反撥をし、すぐに、過去の日本を過ちを犯した国だと罪悪視せねばならない錯覚に陥れられ続けている。…支那事変の陰謀を企てて、日本を無理に戦争へと引き入れたのは、実はソ連と中共であった。しかるに、戦後の日本は、学会も、教育界も、報道界も、全てが占領政策と左翼の策謀に盲従して、ただひたすら事実を隠蔽し、事実を歪曲してやまない。…責任を負うべき真の戦争責任者、果たしてそれは何者であったか?我々は、事実に照らして、これを明確にせねばならない。…」(以上)

 

 後段は、全く同感である。前段の事実は、(以前に掲載した)「(米空軍)フライイング・タイガーズ」が、真珠湾攻撃の約一ヶ月半前、昭和16年10月20日に、中国戦線(相前後してビルマ戦線)で、堂々と日本軍に対して、攻撃を加えていたという明白な事実も含めて、我が国が真珠湾を(先制)奇襲攻撃した、などというのは、全くのでっち上げである。全くとんでもないことである。我が国は、真実の近代史を真剣に検証し、正しい歴史を国民に教えなくてはいけない。それが、独立国家の大きな義務でもある。(諸橋)

 

【韓国が正式に認めていた「竹島は日本領土」】

 

 一昨年、「中国戦跡巡り」で大変お世話になった浅田均氏より、過日、標記内容が送られてた。その概要を以下に記す。

 

 「1899年、大韓帝国の地理の教科書『大韓地誌』は、同帝国の領域が、北緯33度15分、東経124度30分〜

 

 

その2.

【米国も認めている「フライイング・タイガー」】

 

去る6月30日〜7月4日まで、取引先の関係で、米国のニューヨークへ行って来ました。米国本土は今回で4度目でしたが、今度米国へ行く機会があれば、「是非ワシントンD.C.の、『スミソニアン博物館』(正式には、「スミソニアン・エアーアンドスペースミュージアム」)へ行って、そこに展示されているという「フライイング・タイガー」に関する事を検証しよう。」と思っていたのですが、今回そのことが実現出来ました。(「教育の会」で大変お世話になっている小松の湯浅さんより、同館にその様な展示がなされているということを以前にお聞きしていました。)

 6月30日と7月1日(現地時間)はニューヨーク市内巡りをしました。「9.11テロ」の被害地である「(元のワールド・トレード・センタービル)グランド・ゼロ」へ行って、多くの犠牲者の方々の御冥福を衷心よりお祈り致しました。その他に、「エンパイヤー・ステートビル」や「自由の女神像」なども見学しました。

 7月2日は自由行動だった為に、一人でニューヨークから列車に乗ってワシントンD.C.へ(日帰りで)行ってきました。(片道約3時間)

 前述のとおり、私の目的は、「フライイング・タイガー」しかありませんでしたから、

ワシントンD.C.に着くと、そのまま徒歩で、「アメリカ合衆国連邦議事堂」経由で、「スミソニアン・エアー・アンドスペースミュージアム」へ行きました。

 同館には、約100年前に、ライト兄弟が初めて空を飛んだ事から現在の宇宙開発に至るまでの多くの展示がなされています。第一次世界大戦や第二次世界大戦等、各戦争に関しても相当詳しく展示してあります。非常に広いスペースな為、一体何処に「フライイング・タイガー」のことに関する展示がなされているのか全く分からず、館内を詳しく観て回りました。

 同館内に入ってから約3時間ほど歩き続けた時に、漸く「フライイング・タイガー」に関して展示してある場所が分かりました。

 同「フライイング・タイガー」については、昨年のKBニュース4月号でも詳しく取り上げましたが、もう一度要約致しますと、

 「米国は、昭和16年の8月、中国の蒋介石軍(国民党軍)に対して、「空軍力で応援する。」という協定を結び、同年10月20日、中国戦線において、(表面上は米国の空軍を退役した「義勇軍」という形を装って)「フライイング・タイガー(ズ)」という空軍チームを作り、「同年10月20日には、中国戦線において、日本軍を攻撃していた。」という事実があったのです。それは、日本海軍が、同年12月8日、「真珠湾」を攻撃するよりも、何と約一ヶ月半も前のことだったのです。当時の日本人の多くは、恐らくその様な事を知らなかったのだろうと思います。今現在の日本人でも、その事を知らない人が圧倒的に多いと思います。

 「日本が真珠湾を攻撃する約一ヶ月半も前に米国の空軍が日本軍を攻撃していた。」ということは、(当時の在米日本大使館の館員のお粗末さの為に「米国のハル長官に対して、真珠湾攻撃の30分前に渡すべき宣戦布告書の手交が真珠湾攻撃の30分後になってしまったということ不始末はありましたが)「真珠湾」は騙し討ちでも何でもありません。その真珠湾よりも一ヶ月半も前に米国は堂々と我が日本軍を攻撃していたのですから。

 日本人の多くは、フランクリン・ルーズベルトの作った「リメンバー・パールハーバー」という言葉に相当な罪悪感を抱き続けている人が非常に多いと思いますが、実はその様な罪悪感を抱く必要は全くありません。逆に米国の方が、日本に対して、「実は、本当は(英国と組んで、日本が第一撃を撃たざるを得ない様に追い込んでいった)米国の方が余程悪かった。」という負い目を感じて極く当たり前だと思います。

 以下、同館での「フライイング・タイガーズ」に関する展示説明の要旨について記します。

 「『フライイング・タイガーズ』(中国名は『飛虎隊』)は、「アメリカ・ボランティア・グループ」(AVG)である。43のカーチスP−4esと84人のパイロットで始めました。日本人との最初の出会いは1941年12月18日、中国の昆明の近くでした。空軍第23フライイング・タイガーズ戦隊が作られました。第14空軍の指揮下にあったB−29を除いて、第23団は、第14空軍が中国で設立された1943年3月10日までは、中国「エアー・タスク・フォース(空軍)」の一部でした。…」という様な事が説明してある。

 要するに、「『フライイング・タイガーズ』とは、アメリカのボランティアグループであって、彼等が『義勇軍』として、勝手にビルマや中国へ行って日本軍と戦ったのである。」という様に説明している訳であるが、大きな嘘が2つある。

 「ゲリラ」とは違って空軍の戦闘は、個人個人の勝手な思いで実行出来る戦闘行動ではない。航空自衛隊小松基地の場合、パイロットの数は恐らく約100名くらいだと思われるが、同基地の隊員は合計で約1,500人もいる。それは、一人のパイロットが一機の戦闘機に乗って戦闘行動を取ろうとする場合、整備や給油並びに弾薬装填や給食等非常に多くの後方支援が必要になるということである。一人のパイロットが勝手に出来る軍事戦闘行動ではなく、国家並びに空軍の正式な計画、命令並びに部隊の編成等が計画的、組織的に成されなくては、不可能な軍事行動なのである。

 実は、米国も長期間に亘り、「フライイング・タイガーズは、彼等が、ボランティアとして勝手にやった事だ。」としていたものの、近年になって米国政府も、「フライイングタイガーズは、当時の国家の命令によって成された事である。」ということを正式に認めたということである。それは当然当たり前の事である。

 もう一点の嘘は、日本軍を最初に攻撃したのは、1941年12月18日ではなく、(昨年の4月号にも記したが)同年10月20日であったということである。

 その事は、昨年も記したとおり、中国の北京郊外にある「航空博物館」に堂々と説明してあるのである。要するに、(冒頭でも記したとおり)日本が真珠湾を攻撃する約一ヶ月半前には米国は、もう既に中国戦線において日本軍を攻撃していたのである。「リメンバー・パールハーバー」などという言葉は、その様な事実を棚に上げて、日本を一方的に悪者にする為の方便・スローガン以外なにものでもなかったのである。

 我が国は、もっと真剣に近代史を検証し、国民に正しい近代史を説明・啓蒙しなくてはいけない。戦後60年も経過していてもなお、多くの国民が真実の歴史(近代史)を知らされていない事は全く情けないことである。全く言語道断である。

 

 

その3.

【残虐ゲーム・神奈川県が販売規制へ・内容の線引き難しく】(6月3日付け読売新聞より)

同日の同紙に、標記の様な記事が出ていた。その要旨は、「神奈川県は、今月上旬にも全国で初めて、残虐な内容を含むゲームソフトの販売規制に踏み切る。近年、繰り返される青少年による残虐な事件の背景に、残虐なビデオや残虐なゲーム(ソフト)がある。という認識の下に、残虐性を助長するゲームソフトを『有害図書類』に指定し、18歳未満への販売禁止と、一般ソフトとの区分陳列を義務づける。悪質な違反業者には30万円以下の罰金が科せられる。」しかし、「青少年の犯罪に残虐なゲームソフトが関係しているとは科学的に証明されていない」(福島章・上智大学名誉教授(精神医学))とこの様な規制に反対する意見もあるという。

福島さん、貴方の頭がおかしいのではないですか?「人を平気で殺したり、異常なセックスを扱った様なゲームやビデオ並びに漫画等を放置してきた事が、どれだけ多くの犯罪に繋がってきたか計り知れない。」当然その様なもの(有害ビデオ等)はもっと早く国家として真剣に規制すべきである。我が国の多くの国会議員は何故その様に簡単な判断さえ出来ないのであろうか?全く信じられない。早く「有害図書等規制法案」を成立させるべきである。自由と「野放し」は全く違うのである。「悪の野放し」を放置していてはいけない。

いつまでも、その様な有害ビデオ等を野放ししておくことは、全く言語道断である。

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