諸橋茂一の言語道断

公共建造物の名称はよく考えるべき

 去る6月22日から7月8日迄、イタリア、ギリシャ、トルコ、エジプトの以上4カ国を1人で回って来ました。
 一昨年はイギリス、フランス、ドイツ、昨年はロシア、フィンランドを今回同様一人で旅行しましたが、一昨年の旅行の目的は、(ヨーロッパでは古い建物が非常に多く、新築工事よりも改修工事・リフォームが非常に多いと聞いていた為)「当社にとって社業の大きな柱の一つであるビルリフォームについてヨーロッパから相当学ぶ処があるはずだ、是非その様な点について勉強したい」と言う気持ちと、「現在のヨーロッパの中心であるイギリス、フランス、ドイツの政治、経済、歴史、宗教、文化、国民生活等について実際に現地を見て勉強したい」と言うところにありました。
 昨年ロシア、フィンランドを訪問したのは、「第2次世界大戦後、米国と政治、経済、軍事等の面に於いて世界を2分し、長く続いた東西冷戦の一方の旗頭であったロシアがどうして凋落してしまったのか?そこからは反面教師として学ぶ点が相当あるはずだ」という思いからでした。
 今年、イタリア、ギリシャ、トルコ、エジプトを回ろうと思ったのは、「紀元前二世紀より紀元四世紀に至る迄地中海最大の国家から更に大きく版図を拡げ、ヨーロッパ最大の国家となったローマ帝国、その遙か以前に栄えていたエジプト、ローマ帝国の後、同じく地中海を中心として栄えたビザンチン帝国、更にその後、同地域に栄えたオスマントルコ帝国の歴史の跡を見て回りたい」という考えからでした。
 イタリア・ミラノの「ドゥオモ」、同フィレンツェの「ドゥオモ」、同ローマの「サン・ピエトロ寺院」、同「ヴィットリオ・エマルエール2世記念堂」、ギリシャ・アテネにあるアクロポリスの丘の「パルテノン神殿」、トルコ・イスタンブールの「アヤソフィア」、エジプトの「ピラミッド」、「ルクソール神殿」、「カルナック神殿」を初めとして感動を覚えた建物、遺跡等は非常に多くありましたが、それらを見て回った中にローマの遺跡、「コロッセオ」があります。
 ここはローマ時代に奴隷や捕虜同士、或いはライオンの様な猛獣と捕虜を戦わせて、殺し合いをさせ、それを多くのローマ市民が楽しんで見ていたという闘技場です。最大収容人員はなんと五万人と言うことです。
 その規模もさることながら、自分達の単なる楽しみの為に捕虜同士、或いは猛獣と捕虜の殺し合いをさせたと言う残酷さは我々日本人では全く想像も出来ないことです。
 その様な残虐性が欧米人の遺伝子の中にはずっと流れ続けていることを我々日本人はよく認識しておかなければいけません。
 その様な残虐性が、大東亜戦争末期において我が国に原爆を落とし、戦後、元日本人捕虜を戦車で踏み殺した(このことは公には殆んど語られていませんが真実です)と言う残酷さに繋がって来ていると思わざるを得ません。
 我が国は余りにも人が良すぎて真実のはっきりしない(というよりも殆ど創り話に近い)「南京問題」や問題にする必要のない「慰安婦」等に関して、謝る必要もないのに謝ったり、お金を出す必要もないのにお金を出し、その一方で、我が国が当然強く抗議すべき問題について全くと言ってよいくらい抗議さえしていない、という状況です。
 欧米並びに中国、韓国を初めとして世界の国々は決して甘くはないのです。
 「コロッセオ」の中央部分、一番低い所に猛獣を入れておくための檻が幾つもあります。
 その檻の上に板を敷き並べ、その上に砂を厚く置いて、その上で捕虜と捕虜、猛獣と捕虜等の殺し合いさせた、ということです。そうしておけば、殺し合いの後片付けの際、死体と血に染まった砂を捨てれば、それで何の跡形もない、簡単に後片付けが出来る、ということです。
 「殺し合いをさせる為に、板を敷き並べ、その上に砂を厚く敷くこと」、つまり、「殺し合いをさせる為の下地作り」のことを「アリーナ」と呼んでいたということです。非常に残酷な意味があるのです。
 その様に残酷な意味を知ってか識らずか?我が国に近年造られた大規模な競技場(正確には多目的施設)の名前に「横浜アリーナ」などと、いとも安易に「アリーナ」という言葉を使っています。
 外国の言葉を使用するのは良いが、せめてその場合はその語彙くらいは良く確認して使用すべきだと思います。
 一方では平和国家を目指す、などと言いながら、その一方では公の建造物にこの様に残酷な名前を付けるなどとは一体何を考えているのか?全く言語道断です。
以上
平成13年9月